2010年5月20日木曜日

1960.5.15(日) ノンポリ学生の無聊の日々

(注: 1960年と言えば彼の有名な安保騒動の真っ最中だったはずだが、私の日記には6月15日に例の何とか言う女の子がデモの最中に踏み殺されるまで1行も出てこない。 そのくらいノンポリもいいところだったということになるが、さりとてまったく関心が無かったわけでもなく、たしかデモにも3回だけ参加した記憶がある。
1度目に参加したときは、おそらくは家庭の事情で大学にも進学できなかったに違いない若い機動隊員たちを下品な言葉で罵る男がいたので大声で 『止めろ』 と怒鳴りつけて黙らせた。
2度目の時はいわゆるジグザグ行進の馬鹿らしさについていけず途中でぬけだした。
3度目はキャンパスでロシア民謡の合唱を指導している学生がいたのでそれに釣られて参加したものの、あとで何やら怪しげなセクトのオルグだと言うことに気が付いて “これはヤバイ” と後悔した。
それ以来、1度も参加していない。
クラスメート には、社会党右派・・構造改革派・・の盟主 江田三郎の息子 だと言う男もいて授業の始まる前に演説を打っていたりしたので、それなりの事情は知っていたが、クラスの大勢は 『俺達は勉強するために大学に来たので政治活動のために来たんじゃない!』 と言う雰囲気だったから、ノンポリの私でも居心地が悪いと言うことは無かった。
それなのに何故デモに参加したのかと言えば、いまや参議院議長になった江田君が今年1月21日の日経2面で言っているように、『ある種の世代的な共通体験というか・・・高揚した一体感を自分もしっかりと踏まえておきたい、そんな気持ちがあった』 ことは確かだ。 故ダレス元国務長官も、当時の新聞の取材に対して、 『自分も学生時代に反政府デモに参加したことがある。 そんなに心配することは無い』 といっていたのをおぼえている。

というわけで、6月14日までは、毎晩のようにラジオで聴いていたクラシック音楽の曲目の羅列が続く。)

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2 件のコメント:

2017年4月10日 3:53 に投稿, Blogger 関口益照 さんは書きました...

デモに参加したのは3回だけと書いたが、若しかしたら4回だったかもしれない。4回目は国会前の広場を埋め尽くす座り込みをやった後、三々五々銀座まで移動し、大通りいっぱいに広がって歌を歌いながら歩いた覚えがある。その日は終日ピクニック気分で、夕暮れの銀座通りで最後に歌った歌は、革命歌ではなく、フォークソングだったような気がする。それは最近の野外コンサートに参加する若者の気持ちとなんら変わらない一体感と高揚感を伴う一大イベントだった。

 
2017年4月10日 6:01 に投稿, Blogger 関口益照 さんは書きました...

60年安保騒動の年に大学1年生だった私たちは、インタナショナルという言葉が何を意味するかも知らず、旋律と歌詞の格調に高揚感を掻き立てられていました。
https://youtu.be/KFlGfHCCZdQ

 

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